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2010年12月 8日 (水)

丹治蓮生堂(和蝋燭): 下京・七条烏丸西入ル北側

Cimg5322 東本願寺のことを、京の人は「お東さん」と呼ぶ。お東さんの高い塀にくっつくようにして《丹治蓮生堂》がある。京で唯一の和蝋燭を専門にする店である。

 まだ若々しい職人さんが脇目もふらずに精を出していた。「お店の写真を撮らせて下さい」と声をかける。彼はチラとこちらを見て「どうず」というなり、すぐに仕事を続けた。この人が丹治家四代目だった。
 彼の話では《蓮生堂》は、明治中期に、彼の曾祖父が創業した。京都にあっては、そんなに老鋪とはいえない。しかし、もうすこし踏み込んだ話を聞いて、《蓮生堂》には古い伝統が継承されていることが分かった。
 かれの曾祖父(初代)は、当時、京で一二という蝋燭問屋(たしか‘わか悟’とかいう屋号だった)に徒弟奉公していた。ところが、どういう事情があったのかは不明だが、その‘わか悟’が倒産してしまった。仕入れは途絶し、店の者や職人たちも離散してしまった。しかしながら、曾祖父は最後まで‘わか悟’から去ろうとはしなかった。一方、かねてより彼の手腕を評価していた‘わか悟’の店主は、自分の代で蝋燭作りの伝統が途切れてしまうことを憂えて、曾祖父に道具類の一切を分け与え、取引のあった各寺院に「この男が‘わか悟’の後を立派に継承してくれます」と頼み込んだ。
 かくして‘わか悟’を引き継いだ曾祖父は、期待に違わぬ立派な仕事ぶりで、寺院の信頼を得た。《蓮生堂》としてはまだ四代にしかならないのだが、‘わか悟’が代々にわたって培っていたノウハウは、この《蓮生堂》が受け継いだことになる。

Photo_3  和蝋燭は明るさにおいては西洋蝋燭よりも劣る。しかし、寺院からは和蝋燭の方が好まれる。なぜなら、お寺ではご本尊のすぐ傍で灯明をともす。西洋蝋燭は明るいけれど煤が多い。これに対して、和蝋燭は柔らかな明かりのうえに、煤がほとんど出ないために、ご本尊さまが煤で汚れることが少ないのである。
 西洋蝋燭がただの円柱状なのに対し、和蝋燭は写真のように優美な曲線を描いている。上面が広がっているのは、溶けた蝋が流れ落ちない工夫である。それだけではない。上面から見ると、バウムクーヘンみたいな年輪状の模様が入っている。これも蝋の流れ落ちるのを防ぐ工夫である。中心にイ草の芯を寄り合わせたのをおく。その周りに溶けた蝋を塗り重ねるのだが、ある厚みになると融点の高い蝋を塗るのである。こうして年輪模様が入る。もっとも外側にも融点の高いのを塗る。工夫はそれだけではない。上面は水平ではなく、ごく軽い凹面になっている。溶けた蝋が溜まる池みたいな効果がある。このように、蝋が垂れ落ちない工夫がなされている。
 
 
  

Cimg5328  四代目はまだ修業中の身らしいが、どうしてどうして、鮮やかな手付きの仕事ぶりだった。かれがしているのは、ほぼ最終段階の作業らしい。いま書いた上面の軽い凹面をいれるのと、底面を整える作業であった。これはなんでもないようだが極めて重要な仕事らしい。蝋燭の垂直軸に直交するように切らねばならない。さもないと、蝋燭が妙に傾いてしまう。和蝋燭は上が重いので、下手な切り方だと倒れてしまうかも知れない。
 四代目は、この底面切りを、こともなげに一気にスパッと切ったが、それでいてきっちり水平面に切りそろっていた。やはり曾祖父からのDNAがそうさせているのだろうか。
 《蓮生堂》の屋号は、曾祖父が‘わか悟’から独立したときに、みずから命名した。四代目は「ヒイジイチャンがこの名前を選びました。熊谷次郎直実の故実からその名をとったということです」と教えてくれた。熊谷次郎直実は、平家物語に出てくる立役者の一人である。一ノ谷の合戦で、平家の若き公達を討ちとったほか、数々の武功を立てて頼朝から厚く処遇された。板東武者の誇りと意地を貫き通した勇者である。後年、頼朝との間で誤解やわだかまりを生じた。直実は、頼朝の面前で髻を切り、武者であることを放棄し、そのまま上洛して、法然の許へ走り、法然から‘蓮生坊’の法名を得た。曾祖父は、直実の男らしい生き様を手本にしていたので、独立したとき時、屋号を《蓮生堂》にしたのではないだろうか。

 日本の伝統工芸の多くが危機にあるように、和蝋燭の世界にも切迫した事情があるとのことである。原材料の入手が、年々、困難になってきたという。蝋はハゼの実からとる。ハゼの木が少なくなったのではない。ハゼの木はそこら中に生えているのだが、実を採取する人手がなくなりつつあるというのである。山村は急速に高齢化が進んでいる。これまでは、ハゼの実の採取がかなりな副業だったのだが、それに従事する人がいなくなってきたのである。さりとて、あちこちに散在するハゼの木を見つけ回って、専業的に採取するほどの収入にはならない。時代の流れだといってしまえば、それに違いないが、日本の社会構造は驚くべき速度で変容しつつある。その一端をまざまざと見せつけられた。

 

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